あなたを成長させる転職の勧め
20代で初めて社会人となりそれから約半世紀、これまで50年間で幾度となく襲われる仕事への挫折、同時に新しい世界への憧れや希望、そして挑戦。
50年間で仕事や生活の転換を6~7回ほど経験してきて、転職が自分を成長させてきたことは確かな事実のようです。
更に60歳を過ぎてからの仕事で、これまでになかった中小企業の世界を初めて知り、多くの人と出会い多くのことを学ぶことができました。
現在75歳の高齢者ですが、最近ブログをはじめまだまだ挑戦を続けます。
目次
大学卒業から62歳までのサラリーマン人生
人生の40年近くをただ夢中で過ごした、いわゆるサラリーマン生活でした。
最初の就職先は中小企業
大学卒業して電気系エンジニアとして23歳で入社した会社(F社)は100人ちょっとの中小企業で、処遇はあまりよくなかったけれど、とにかく懸命に勉強もしたし、いわゆる仕事に対する挑戦意欲は強いものがありました。
と言うか、当時日本の高度成長期のサラリーマンは、寝食を忘れて仕事に没頭する猛烈社員が憧れのような風潮があったことも事実です。
一生の伴侶となる妻もこの会社で知り合いました。
当時、日本にはまだあまり知られていなかったマイクロコンピューターに興味をそがれ、独学で勉強しその魅力にとりつかれたのもこの頃です。
中小企業から大企業への転職
入社11年が経ち、当時の処遇や将来への不安から転職を決意。
朝日新聞の求人広告から「オリンパス光学工業(当時)」に応募。
200人ほどの応募者の中から、3~4回の筆記・面接試験を経て最終選考の社長、役員面接を終わってみたら採用者は2人だったように記憶しています。
最終面接で当時の社長が質問したことを鮮明に覚えています。
・社長;「あなたがウチの会社に応募した動機は何ですか?」
・私;「はい、それは次の二つです。」
「現在の会社より御社の給料が高いこと」
「通勤が便利なこと」
当時の社長は大物だったと思います。ニコニコしながらうなずいてくれていました。
今思い出しても冷や汗ものです。
オリンパス入社と研究開発部門
34歳でオリンパス光学工業(現、オリンパス)の研究開発本部へ入社。
会社としての風土、文化や処遇面でも中小とはまるで違う大企業。
今までになかったような研究開発環境、設備や予算は以前の中小企業では手が届かなかったことが現実に。
最初の仕事がこれまでに勉強してきたマイクロコンピューターを利用した製品開発で、自分が中心で開発を進められる楽しさを十分に確認できました。
企画~設計~試作~生産
デザインレビュー、品質評価・管理、特許調査・出願・・・
等の業務もすべて経験することで、製品開発に必要な業務を一通り経験することができました。
度重なる異動と転勤
当時、私は社内でも最も多い部署異動を経験したと思っています。
主な異動部署10か所ですが、開発系から始まり、エンジニアリング会社、長野県の工場(単身赴任)、販売会社、新事業立ち上げPJ、基礎技術開発、最後は関連販売会社です。
エンジニアとして入社した私が、25年間で目まぐるしく異動・転勤を経験し気が付いたら最後は関連販売会社(社員300人)の社長で幕を閉じます。
よく言えば将来に向け色々な部署をキャリアとして経験させてもらい、悪く言えばその場しのぎで便利に使われてきたとも言えます。
60歳からの転職
オリンパス60歳の定年後、いわゆる天下り的に関連会社A社に役員で入社しました。
会社の方針や運営に納得できずわずか1年でA社を退職し、オリンパス関連から完全に離れました。
62歳からの第2の人生
サラリーマン生活を終了し、ものづくり中小企業相手の仕事は、今までの仕事の価値観をくつがえすほど自分にとっては素晴らしい10年間の経験となりました。
オリンパス退職後に経験することになった中小企業への相談員やコーディネーターの仕事では、これらの経験が大きく役立つことになります。
大企業だけで仕事を終了していたら、今の自分はなかったと思います。
62歳での転職に成功
リーマンショックによる景気低迷で就職が厳しいなか公的機関への仕事に活路を見出し、八王子市の出先機関「八王子先端技術センター」の技術相談員に選考試験の結果運よく採用されました。
62歳でした。
主に取り組んできたこと
・ものづくり中小企業への技術相談とサポート全般。
・連携企業紹介、助成金申請、技術セミナー開催、事業承継相談、その他
・約6年間で企業面談900件実施。
・約6年の勤務で退職。
ここでの経験で大きく影響受けたこと
・地元中小企業の素晴らしい技術と、それに取り組む人たちに出会えたこと。
・企業経営の大変さを実感でき、少しでもサポートできたこと。
いよいよ個人事業主としてスタート
67歳で個人事業主「KSコンサルティング」を立ち上げ、中小企業サポートを中心に活動開始。
東京大学(佐藤知正先生)主導による経産省プロジェクト「災害支援ロボット開発」に参画。
福島県南相馬市を中心に実証実験に参画。
仮設住宅の住民の皆さんとも何度も交流させて頂きました。
青色申告の勉強もやり、複式簿記とは何か? 仕分け入力の基本を徹底して覚え、この年から青色申告を継続しています。
68歳で東京都公社の試験に応募
68歳で「東京都中小企業振興公社」の選考試験に受かり、先の経産省プロジェクトと兼務で「医工連携コーディネーター」として勤務。
当初は18日/月程度をコーディネーターとして活動し、並行して経産省プロジェクトの仕事もこなしていましたが、1年ほどでプロジェクトは終了しました。
主に取り組んできたこと
・ものづくり企業170社を担当、医工連携サポート業務、相談案件対応 他
・ものづくり企業への臨床機関とのマッチング、医療機器製販企業との連携等のサポート
・医療関連展示会出展や企業間マッチングのサポート
医療機器関連の仕事は独特の世界で難しい面が多かったですが、薬事対応その他の勉強はそれなりにこなしてきました。
日本橋まで片道2時間以上の通勤や、都心での飲食やショッピングも楽しい思い出です。
5年間の任期を終え、73歳で退職しました。
73歳でまたしても転職、しかし・・
73歳という年齢的な面から多少躊躇しながらも、「大田区産業振興協会」の公募に応募しここでも採用頂きました。八王子市や東京都での経験が評価されたものと思います。
折しも新型コロナウィルスの最初の「緊急事態宣言」が発せられる中でのスタートで、最初からほとんどが在宅勤務でした。
これでは私が最も重視している最前線の現場の仕事も叶わず、辞職を願い出ました。
先方からは慰留も言われました。
半年にも満たない在籍期間でしたが自分の意志で退職を選択しました。
後期高齢者からの挑戦
現在74歳で、間もなく誕生日で後期高齢者となります。
コロナも収束は見えていません。
個人事業主として再開しています。
自宅でできる仕事、今更、と言われることは必至ですが、WordPressを勉強してWebサイトを立ち上げました。
何をするかはゆっくり考えていきます。
おわりに
数えてみると、50年間で7回の大きな転職を経験してきました。
私はこれだけの転職を続け、どれ一つマイナスに作用したことはなく、それぞれがその時々に自分にとって大きなプラスになったと思っています。
今現在の私の財産にもなっています。
そしてシニア、高齢者の皆さん。
健康に動けるうちは、自分で出来る範囲で挑戦を続ける気力を持ち続けて欲しいものです。